2022年11月3日旭日小授章 授章
林英哲 授章コメント
旭日小綬章 受章、思いがけないことでした。太鼓は思わぬ遠いところまで響いて、いろいろ迷惑をかけるのが常で、でもこの度は、それこそ自分からは最も縁遠いと思われるところから栄誉を下さるというお知らせで、そういう伝わり方をするのかと、驚きうろたえています。そういうところに響いているとは、思っていませんでしたから。
9月に福岡アジア文化賞・大賞受賞のお知らせも頂き、これも思いがけないことで、アフガニスタンで亡くなられた医師の中村哲さんと同じ賞を頂くということで、身が引き締まりました。ありがたいことです。
半世紀以上、太鼓を打って、新しい表現を目指し続けてきましたが、どこにでもある素朴な太鼓芸と誤解され見に来てももらえず、自分の仕事が社会にも太鼓愛好者にも、まったく響いてないような気がすることも多々あった道のりです。そのような地味な仕事を、このように励まして頂けることは、本当にありがたいことです。
支えて下さった皆さまに、心より御礼申し上げます。
1.もともと太鼓演奏を目指して始めた道ではないのですが、様々な縁があって、51年、続けて来ました。日本の太鼓で自己表現する、自作自演の独奏者は私以前にはいなかったので、自分を実験台にして試行錯誤しながら匍匐(ほふく)前進してきたようなものです。
手本も正解もない分野なので、打法や曲を試しつつ、打てる形、作品にするまでは、とても辛く長かった。伝統芸能ではないので、やるべき曲、テキストも、経験のある先人もいませんでした。
二十代は文字通り「血と汗と涙」の体の訓練、縛られた収容生活と舞台。三十代以降は孤独との闘い。理解者もいないところからのスタートでした。
2.太鼓芸は注目されにくい分野です。日本の太鼓芸にかぎらず、音楽の中で、打楽器は主役ではなく旋律の伴奏役、裏方になることが多い。日本の太鼓も、常に祭や踊りの伴奏の「お囃子」役。音楽として自立する分野とは思われていなかった。打ち手が注目されたり、演奏家として職業にするなんて、あり得なかったのです。ならば、やってみよう、と思ったわけです。誰も手がけてないのなら、逆に手つかずなのだから、そこに創作の入り込む余地があるんじゃないか、と思ったのです。僕はもともと美術志望だったので、人とはちがう表現を求めることは当然だと思っていました。美術では落書きやガラクタと思われるものからでも、人を感動させる作品は生まれています。
伝統や既成の常識に縛られない和の太鼓の表現、僕の発見した新しい太鼓の真価を、現代の日本人の表現として成立させたかった、そして実際の舞台作品として世界に通用するものにしたかったのです。美術ではないけれど、和の表現を使ってできることがあるはずだ、クリエーターとして目指すのならそこだろう、と。
おこがましいですが、ゴッホだってピカソだって北斎だって若冲だって、そうやって自分の作風を打ち立てたんだから、と思ったわけです。
3.寺の子だったので、最初の出会いは本堂の仏具、鳴り物でした。どうやらその影響でドラムをやりたくなったようで、中学でドラムを始め、考えてみれば美術と同じような感覚でやってました。音楽もドラムもきちんと習ったことはないです。独学です。
習ったのは、美術ではデッサン、デザインの平面構成、細密画、日本の芸事では歌舞伎太鼓、横笛、長唄三味線、津軽三味線、琴、尺八、日本舞踊、バレエ、数々の郷土芸能−−
それぞれのお師匠さんからも、そして本からも多くを学びました。
そういうものを身に付けたことは、今となってはすべて生きています。太鼓打ちとして、こういう多様な経験をした者はほかにいないと思いますが、だから創作に向かいやすかったかもしれません。
オーケストラ曲との出会いも、最初は思いもよらなかったのですが、その経験がまた自分の表現を広げてくれて、多くの作曲家や演奏家の方達との出会いが増えてゆきました。ロックやジャズや海外の民俗音楽体験も、同様です。たくさんの異文化の国にも行きました。
体で表現する仕事なので、体を通した経験がすべて自分の糧になることを、自分がいちばんよくわかります。中には辛い経験もありましたが、結果として糧になった、人生と同じですね。
4.「王道にして邪道」でありたい、という言い方を、2月のサントリーホールでの古稀コンサートでしたのですが、えらそうですが、そのままの本音です。僕には、本物の太鼓の境地に出会った、という、口で説明できないような厳かで神秘的な体験があって、その経験が、今も一人で打ち続ける大きな支えになっています。太鼓という宇宙生命の根源のような音に出会った、それを経験してしまった者ゆえの運命を自分は生きているんだろうと、大げさな言い方になりますが、でもこの歳になってそう思います。−−−−血の通った真実の音さえあれば、表現はどんな風にもできる、邪道もいとわず−−−−と、そう思いながら、まだこれからも作品を創って行きたいです。