「日米和太鼓の響演 益子×ダブリン~和太鼓がつなぐ日米の子どもたち~」無事終了
2015年6月20日に栃木・益子町民会館で行われた「日米和太鼓の響演 益子×ダブリン~和太鼓がつなぐ日米の子どもたち~」が無事終了しました。
監修・ナビゲーター:林 英哲
出演:ダブリン太鼓(オハイオ州ダブリン市の中高生)、天人疾風の会Jr.(益子の小中高生)、天人疾風の会
特別出演:英哲風雲の会〈上田秀一郎、田代 誠、辻 祐〉
公演を終えて、ダブリン太鼓のスザンヌ先生(オハイオ州ダブリン市のデイビス・ミドル・スクール)と参加した生徒のみなさん、また、ダブリン太鼓の生徒の保護者で今回の企画の中心メンバー山川勇郎さん(益子町出身)からメッセージが届きました。
*公演の模様は英哲写真館(2015年6月)でご覧いただけます。
スーザン・べレット(スザンヌ先生)
11年前、林英哲先生による滞在型芸術プログラムの一環で素晴らしいアーティストの一員になる機会に恵まれました。その時は、こんなにも私の人生が変わるとは思ってもみませんでした。そしてこの夏の益子への旅、英哲風雲の会と天人疾風の会と共に過ごした信じられない一週間は、新たなマイルストーンになりました。
言葉は違うのに、コミュニケーションには全く問題がないことは、本当に驚くばかりです。特に、ダブリン太鼓の生徒は天人疾風の会Jr.のグループとすぐに打ち解けていました。そんな様子を見て、英哲先生が最初の年に言った言葉を思い出しました。「私が望むのは、皆が太鼓を通して、様々な文化や、あらゆる可能性、そして全ての国を結びつけることなのです。」そのことが今まさに起こったのです。
また、私はこの旅行中に生徒たちとの特別な絆を感じました。それは私がただ一緒に演奏しただけでなく、このような一生に一度の経験を共有できたということです。それは生徒たちの表情や演奏であり、また全員が「また日本に行きたい」と話している事実にも表れています。
太鼓を通して私の人生が変わったこと、私はそんな幸運の星に毎日感謝しています。生徒たちや保護者の皆さん、そして英哲先生と風雲の会みんなが私をより良い教師に、より良い音楽家に、そしてより良い人間にしてくれます。ダブリン太鼓の生徒達もきっと同じ思いに違いありません。
サム・ローパー
日本に行って、風雲の会と一緒に練習できたのは素晴らしい経験になりました。英哲先生、秀一郎さん、誠さん、祐さんの教えによって、太鼓の演奏が格段によくなりました。またぜひ日本に行きたいです。
ジョナ・ギルバート
益子でのワークショップはとても素晴らしい経験でした。英哲先生と風雲の会のメンバーからは本当にたくさんのことを学びました。また近い将来、英哲先生と一緒に演奏してみたいです。
阿部 七彩(あべ なさ)
私は日本人ですが、日本にいたらきっと太鼓と出会わなかったし、益子にも行かなかったと思います。たまたま10年前に英哲先生がダブリンに来て太鼓を伝え、私が7年前にアメリカに引越し、2年前デイビスミドルに入り、スザンヌ先生と出会い、太鼓クラブに入り、益子へ行く事になり、太鼓を通して益子ジュニアにたくさんの友達ができました。それは全部たまたま起こったキセキ。アメリカ人が日本で太鼓コンサートするだけで十分キセキなのに、日本人の私がアメリカの学校から日本へ太鼓を逆輸入するのはもっとキセキです。
英哲先生と太鼓屋さんへ行った時、先生の楽しいトークを聞いていたら時間があっという間に過ぎて、その日のワークショップができなくなったりしました。でも先生のトークは一番最高のワークショップだったと思います。
「飛竜三段返し」の変なセリフを言う所が恥ずかしかったのですが、コンサートで日本のお客さんたちにウケて拍手してもらえて嬉しかったです。最後にダブリンのはるかかなたに住む益子ジュニアと、同じ舞台で同じ『千の海響』をやれて感激しました。
打上げパーティーでの英哲先生とスザンヌ先生の変な踊りや、益子のみんなとのダンスも忘れません。言葉が通じなくても、バケツ叩いて踊るだけでこんなに心が一つになれるんだなーと初めて知りました。
益子での一週間は日本ツアーの中で一番、京都や東京よりもダントツに楽しかったです。私がダブリン太鼓にいる間に、絶対もう一度太鼓の日本ツアーに行きたいです。
山川勇郎(やまかわ いさお)
林英哲先生の指導を受けて11年前に結成された二つの和太鼓グループ、その一つが私の故郷の益子町に、もう一つが現在住のオハイオ州ダブリン市にあるというのは、なんとも不思議な縁を感じます。当初中学生20人で始まったダブリン太鼓は、スザンヌ先生の熱心な指導のおかげで今や100人近くの中高生が所属する大所帯になりました。年々活動の輪も広がり、州外での演奏旅行などを経て日本行きの声があがった時、私は何のためらいもなく益子町をその目的地に選びました。
2年前の立案からの道は決して平坦ではありませんでしたが、「ぜひ日本に行ってみたい!」(ダブリン太鼓)、「ぜひ来てください、一緒にやりましょう!」(天人疾風の会)、「我々も協力しましょう!」(英哲氏と風雲の会)、そんな皆さんの熱意に押され、引かれ、支えられての実現となりました。
行く先々での熱烈な歓迎、宿泊先の温かいおもてなし、様々な文化交流体験、限られた時間の中での合同練習、そして満員のコンサート会場からの拍手、滞在中の全ての出来事が一生忘れられない素晴らしい思い出になりました。コンサートが終わった後の達成感に溢れた子供たちの笑顔、あれが私の原動力です。
この企画にあたり、大勢の人が様々な形で支援してくださいました。心より感謝申し上げます。